
なぜSLが好きになったのか? 明確な理由はわかりません。しかし、物心ついた頃からSLが好きでした。昭和50年12月に北海道の室蘭本線を走ったSL最終旅客列車には乗れませんでしたが、その後も日本全国を旅するようになり、山口線のSL復活運転などを羨ましく眺めていました。群馬県内のSLは昭和40年代には廃止になっており、関東圏でもあることから、SLの運転には期待していませんでした。それだけに、高崎から水上までの上越線と、横川までの信越本線でSLが復活したのには驚きました。まさか、こんな近くでSLが営業運転されるなんて! 昨今のSLブームなどもあり、実は関東圏でも、有名な大井川鐵道や真岡鐵道、秩父鉄道、そしてJRでもいくつかの路線で運転されることがあります。しかし、自分のこんなに近くで、それも毎週のように走るようになるなんて。長生きはしてみるものですね(まだまだ若輩者です)。
日本はすでに車社会です。群馬県では車が生活必需品です。それでも公共交通機関は頑張っています。1日に数本しかなくてもまだローカルな地域のバスが走っていますし、鉄道も様々な経営努力をしつつ毎日電車を走らせています。よく、赤字ローカル線の廃止問題がクローズアップされると、「乗って残そうキャンペーン」が張られます。でも、そこまできたらもう手遅れなんですね。地域の足として必要とされていないということです。公的機関が赤字を補填しながら公共の福祉として維持するか、観光や交通機関以外の商売などで利益を上げることを考えていかなければなりません。地元民としては、将来的にも交通機関を残していきたいと考えるなら、黙って利用することです。家族や友人・知人に利用してもらえるように働きかけるのです。公共交通機関に関心がなく、利用することもないのであれば、廃止されても仕方ありません。

さて、SLの運転に関してです。上越線と信越本線でSLが土・日曜日を中心に運転されるようになって数年以上が経ちます。運転の頻度や乗車率、沿線の人出や経済効果などは、インターネットが普及した便利な時代ですから興味のある人が調べればいいと思いますが、私は、少しでも長くSLが運転されるといいな、と願っています。今でも高崎駅のSL発車風景などを見ると凄く盛り上がっているように感じます。しかし、どんなことでも3年も経てば飽きることでしょう。現状はわかりません。乗車率が上がっているのか下がっているのか、経済効果が以前に比べて増加したのか減少したのか、その数字に興味はありません。繰り返しますが、私はただ単に「少しでも長くSLが運転されるといいな」と願っているだけです。
そんな私にできることは、実際に走るSLに乗って楽しむこと(運賃や料金の支払い)、走行しているSLの写真撮影をすること(駅までの運賃や、駅構内に入る場合の入場料金の支払い)、SLが走っていることを世に広く知らしめること(SNSによる拡散など)などです。SLを走らせるための経費を間接的にでも負担することで「少しでも長くSLが運転される」可能性が出てきますし、SLが走っているという情報を拡散することで結果的に「少しでも長くSLが運転される」と考えているからです。ですので、まあ、SLに乗車するのは1シーズンに1回あるかないかの程度であっても、撮影にはSLが走るたびに出かけていきたいと思い、実行しています。沿線でSLを見守る老若男女が多ければ多いほど、機関士も乗務員も駅係員もSL&鉄道ファンもドライバーも一般人も、「SLが走ると盛り上がるんだなあ」と感じるはずなんです。一人の人間が、沿線でカメラを構えたくらいでは効果はほとんどないでしょう。しかし、一人が二人に、そして三人にと増加することで、「雰囲気」が作られていきます。子供を抱いたお母さんや子供と手をつないだお父さんが、SLに向かって自然に手を振ってしまう光景はいいものです。踏切待ちで停車した車の目前をSLが通過して「ラッキー」と思うのは自然なことです。継続こそが力です。

入場券を購入しても140円です。沿道で撮影する場合は、ガソリン代を支払うだけですから、SL運転維持に繋がる間接的な経費負担さえありません。それでも、撮影している事実で「雰囲気」は形成できます。もちろん、私自身がSLを好きだという気持ちがあるからこその行為ですが、今後もSL運転が維持されるように、自分なりに微力ながら行動していくつもりです。
ちなみに、SL撮影時は連写もせず、コンパクトデジカメで適当にシャッターを切っているだけ。撮影名所にもあまり行きません。SLが走る風景の中に自分がいれば満足なんです。迫力のある煙と音や、石炭の独特な香りの中に自分の身を置きたい。それで幸せなんです。次の休日も、SLが走行する沿線でカメラを構える私がいることでしょう。(by K-A)
コメントをお書きください